うさぎ ご無沙汰してしまいました。実は出張に行っておりまして・・・・。初海外出張で・・・・。
でも、今日は出張の内容ではありません。
まだまとめ切れていませんので本来なら出張前に書かなくてはいけなかったのですが、時間が無くてボツになった内容で・・・。

ニヒル そう言うのをお茶を濁すって言うんですよ!怒
うさぎ ごもっともで・・・。でもちゃんと書きますよ。

【お茶を濁す】いい加減なことを言ったりしたりして、その場をごまかすこと。 広辞苑より・・・

ここからは久々の出張ブログです。まじめなビジネスマンの方はここから下は全くお仕事に関係ないので・・・・
お忙しいお仕事の合間の休憩にどうぞ・・・

Drupa2012は来週書きます。スミマセン・・・。


本日は(といっても4月ですが・・・)東京は南青山です。
page2012はベーヴェシステックジャパン様、昭和情報機器様とご一緒させていただき、ピツニーボウズジャパン様には機械を貸していただきました。
各方面に大変にお世話になっています。
今回は南青山にお礼参りです。

さて南青山に到着です。
当時は桜が満開で花粉症も超ピーク・・・。(涙)

薬局のパンダもマスクで防衛しています。

南青山、乃木坂は日新戦争、また日露戦争で最激戦だった旅順攻囲戦で大将だった乃木希典(のぎまれすけ)が自刃(じじん)した旧乃木希典邸があります。

司馬遼太郎などが言う愚将か、名将かは意見が分かれる所ですが、日露戦争で負けた露軍への寛大で紳士的な態度が敵軍や世界中から賞賛されたことや「乃木のために死のうと思わない兵はいなかった」や多数の将兵を戦死させた自責の念から、日露戦争後に凱旋した後に各方面で催された歓迎会への招待もすべて断っています。
詳しくはこちらへ
(参考文献)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%83%E6%9C%A8%E5%B8%8C%E5%85%B8
退役後、学習院の院長となり生徒であった昭和天皇の教育にあたり、勤勉と質素を旨とし、車で学習院に通う昭和天皇に対し「徒歩で通学する」ことを指導し、昭和天皇はこれに従った。
このあたりに希典の人格が表れていると思います。

だいぶ本題から外れてしまいました。
南青山のとある電気屋さんの前で知り合いが立ち読みをしていました。二宮金次郎 先生です。金治郎が正しいという説も有ります。

にわとり 「尊徳が読んでいるのは大学って本なんですよ。」
うさぎ 「えっそうなの?これは調査する必要があります・・・。とりあえず開いているページを撮影してみましょう。」
電気屋さんの了解を取り撮影をっと・・・

うさぎ 「何も書いてないと思ったらちゃんと書いてある・・・・。」

後日調べました・・・。

二宮金次郎(尊徳)は江戸時代末期に農民の子として生まれ、貧しい少年時代を過ごしました。彼は父母を若くに亡くし、寸暇を惜しんで働き、薪を運びながらも中国の論語や大学などの本を読む時間に割きました。
 おそらくその勤勉さが小学生の理想・手本としてふさわしいと考えられました。 金次郎は後その能力を認められ、各地で農村復興などに力を尽くしました。
 ナスが大好きな金次郎はある年、その味がおかしいことに気付き、飢饉の到来を予測し、悪天候に強い作物の生産を奨励しました。果たして飢饉はやってきましたが、その地方では餓死者を出すことなく乗り切った、という逸話も残っています。

 
小学校に建てられた「金次郎像」でもっとも古いものは、1924年、愛知県前芝村立前芝高等尋常小学校(現豊橋市立前芝小学校)に建てられたものである。その後、昭和初期に地元民や卒業生の寄付によって各地の小学校に像が多く建てられた。そのとき、大きさが1mとされ、子供たちに1mの長さを実感させるのに一役買ったといわれることがあるが、実際に当時に製作された像はきっかり1mではないことが多い。

又、金次郎像は製作者によって顔も違えば、柴も薪もあり、斧や印籠を持ったり笠や草鞋を持つものもあり、本の表紙も「論語」「大学」とバラバラだそうです。
参考文献
http://homepage2.nifty.com/osiete/s665.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%AE%AE%E5%B0%8A%E5%BE%B3


そしてやっと本題です。
東京都下水道局では、平成13年以降、23区内のマンホールふたに、固有のマンホール番号および管きょの布設年度(西暦)を明示します。これは、「マンホールふた」を通じて、今まで以上に地域の方々に親しまれ、積極的な情報発信のできる下水道を表現したもので、また、常日頃の維持管理の効率化にも役立たせます。
 ふたに設置した4つの文字キャップは、左3つの文字キャップはマンホール番号を、右端の文字キャップは管きょの布設年度(西暦)を表しております。
マンホールのふたは、23区全体で約47万枚あり、このうち年間、約13,000枚設置します。
この写真ではマンホール番号20 8J 3G 管きょ布設年度1953年ということになります。


美しいマンホールが有りましたら是非ご連絡ください。伺わせていただきます。

日本マンホール研究会は地域に根ざした、日本の美しい風景や歴史、民話などをモチーフにした、マンホールを研究しています。


提供:ビジネスブログのe売るしくみ研究所..