うさぎ ご無沙汰してしまいました・・。
今回も前回の続きで下水道関係の納付書の納品で酒田市クリーンセンターに行った日のことです。

この日は酒田市役所への本年度最後の納品という事で久しぶりに酒田市立資料館へ行きました。
土門拳記念館や本間家旧本邸や本間美術館や鐙屋では季節ごとに展示物を入れ替えていますのでいつ行っても楽しむことができます。

酒田市立資料館は前回行った時は「酒田大火」についての展示でした。ちなみに酒田大火や戊辰戦争や日本海交易は2Fで常設展示です。
過去ブログ http://www.ezawajimuki.co.jp/blog/index.php?e=431

今回は1Fで 「なつかし シネマ展」 が開催されていました。
酒田市は江戸時代から江戸時代、西廻り航路で北前船で米や紅花などの取引で賑わいました。その繁栄ぶりは「西の堺、東の酒田」と言われるほどでした。この時文化も酒田にもたらされ、本間家に残るひな人形をはじめとする工芸品だけではなく、詩人や作家など、多くの文化人が酒田市に立ち寄り、また戦前、昭和後期は繁栄を極めた港の交易は陸路に代わりつつ有るも、文化的な色合いは強く残り、映画館が並び、市民が文化に身近に親しむという地域だと分かりました。

展示資料は基本的に撮影禁止でしたので、メモをとりながらの見学でしたが、大変興味深い「へぇ~」がたくさんありましたのでご報告します。

映画は昔は弁士が活躍しました。
弁士は紙芝居の延長からなのか日本とアジアだけの文化のようです。(へぇ~)

トーキー以前のサイレント映画では全てを弁士または楽士が活躍しました。
トーキー映画となり、弁士や楽士は活躍の場を失うが、外国映画では字幕を焼き付ける技術が確立されていなかったので、トーキーであっても映画の台詞の合間に弁士が日本語で喋ったり、トーキーの楽曲の音量を落して映画の音声と戦うようにして弁士が説明をしていた。
しかし外国映画であっても字幕の技術の確立で弁士は失業し、司会業などに転職、または廃業したようです。(へぇ~)

須田貞明は昭和5年末より浅草の大勝館にて主任弁士を勤めたが、この大勝館が貞明の最後の職場となった。
ちなみに黒澤 明監督の実兄です。
弁士や楽士は大規模なストライキを行い、須田貞明は松竹系争議委員長となり、会社と戦ったが、満足のいく結果は得られず、伊豆湯ヶ島温泉で自殺した。
彼は遺書の中で
紛糾せる事態の責任を痛切に感じる、諸君の期待に背きしは遺憾、是を持って許されよ
としるしている。

須田貞明 享年満27歳


文化や文明が大きく人生を変えてしまうと言うことに少し寂しさを感じます。

各時代のポスターも展示してありました。
昭和35年の「次郎物語」  十朱幸代 (超きれー)
昭和46年の「泣いてたまるか」  榊原るみ (かわいい)
などマニアには垂涎ものです・・・。
うさぎ 私はマニアではありません

映画館は 「グリーンハウス」 という映画館がかつてありました。この映画館映画評論家にしてマニアの淀川長治氏をもってして「世界一デラックスな映画館」と言わせました。
料金に飲食が含まれ、椅子の造りも超ゴージャス、同じ映画を酒田市内でも上映していたのですが、グリーンハウスで見るというより鑑賞するというのが酒田市民の粋という事でしょう。
しかし・・・・昭和51年10月29日の酒田大火の火元となり消失しました。


変わったところでは、ゴジラスーツアクター(怪獣ゴジラの中身の役者)中島春男は映画の町酒田市の生まれです。平成24年に「第1回酒田ふるさと栄誉賞」を受賞しています。
ゴジラ関係では、本田猪四郎監督は同じく特撮技術監督 円谷英二と組んで'54「ゴジラ」、'57「地球防衛軍」、'61「モスラ」、'65「怪獣大戦争」などを監督しました。彼も文化の町酒田市のすぐ隣の現在鶴岡市生まれです。

さらに成田三樹夫といえば松田勇作主演の探偵物語。「工藤ちゃ~ん」の服部刑事役が小学生だった私には印象が強くて・・・。探偵工藤の邪魔をするうっとうしい刑事役です。刑事役なのに悪役です。この味が分かるのに20年以上掛かりました。
昔の写真では超いい男です。
そして彼もまた酒田市の出身です。

https://www.youtube.com/watch?v=s-TdkxXp_wU

松田勇作の次、24秒のところです。

まだ酒田市のレポートが続きます。
女性 仕事以外のレポートでしょ!怒


提供:ビジネスブログのe売るしくみ研究所..