佐賀と言えば・・・やはり・・・マンホール絡みで・・・
むつごろうラーメン
というのも見つけましたが・・・

やはり歴史的にも意味のある
玄関
吉野ヶ里玄関です。

本日は午後からがお仕事でしたので平日の朝一にゲートインです。
初めてここへ来た時は福岡と佐賀の間の背振山を超えてきたのですが、「当時は何もない」遺跡発掘前でした。

その後、発見されたのですが、最初は地元の学校教師の親子が地道に発掘していた。「ここはかつて文明があった場所ではないのか?・・・」が、なんと工場誘致になる・・・・。
これをその子供が成人して教育委員会の立場から遺跡の存在の可能性に賭けて、工場誘致を中止させた・・・。

ある日に「今日、遺跡があったことを裏付ける何かをここで発掘できなければ工事を強行する・・・」という「1箇所だけ試掘」という極めて厳しい条件をなんとクリアしています。
執念の親子です。
プロジェクトXにもなっています。
・・・・というか2度目に来た時はプロジェクトXをここで見ました。
遺構

今回は3度目です。
実はあのビデオもう一回見たいと思っていましたが残念です。

大規模な環濠集落や身分制度を示す埋葬品、装飾品、また魏志倭人伝に残されている内容から邪馬台国だったのかも知れないと言われています。

そう言えば当社の生産管理部の責任者 むむっ は学生の時は古代遺跡発掘を勉強していたらしいです。
むむっ 「研究室では実際に遺跡発掘を行いました。なぜか夏に発掘するんです。暑いから、も~大変でした。」
「遺跡の発掘は夏場がメインですので大変過酷です。」

ということで見つけました。
カラー
卑弥呼は当時から衛生的な下水道を集落内に整備していたことが見て取れます。

むむっ 「するどいです。実は本当に下水道のようなものはありました。あっ・・・でもマンホールはありませんよ。釜や斧などの鉄製品は出土していますが、マンホールは出土されていません。」

むむっ 「トイレについて言えば・・・縄文時代や弥生時代は今のトイレの考え方ではなく、本当に排便をする機能だけです。人に見られたくないとか、衛生とかという考えは全くありませんでした。」
「人に見られたくないという考え方はごく近代の考え方で、現代でも文化レベル低い地域ではトイレ文化は発展していません。」
「おそらく、吉野ヶ里遺跡ではトイレが発見されたかどうかは分かりませんが、時代的に、おそらくは川の流れに直接廃棄です。」
「桟橋、又は橋の様なものから直接に流す方法がとられていたと思われます。」
「古来の呼び方で便所のことを厠(かわや)と言いますが、川屋と呼ばれていた事が語源です。」
「712年に編纂された古事記の中にも記録があります。」
「ただ川がない場合などは道ばたで排便していたことが絵巻などから分かっています。」
「ついでに言うと糞尿を貯めておく"くみ取り式"は、糞尿を畑の肥料として利用される様になってから広まったとされています。」
「これだけの規模の集落では人数もかなりいたので、道ばたで排便をするのでなく、川の流れによる処理と考えるのが妥当でしょう。」

勉強というか便強になりました。

モノカラー
やはりカラーが良いですね。



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