うさぎ 申し訳ございません・・・。出張ブログです・・・。まじめなビジネスマンの方はここから下は全くお仕事に関係ないので・・・・
お忙しいお仕事の合間の休憩にどうぞ・・・


前回は・・・・市役所前の大獅子、駅前の港町酒田駅前の船のモニュメント、酒田市の市章と港のシンボルでした。

酒田市は江戸時代に西回り航路(北前船)の拠点として栄えました。
北前船は商品を預かって運送をするのではなく、航行する船が商品を買い、それを寄港地で売買することで利益を上げる廻船のです。
江戸時代に繁栄した鐙屋(あぶみや)は廻船問屋で、本間家は戦後の農地解放まで日本一の大地主と言われた豪商であり、酒田市は今でも往事の繁栄の面影を数多く残しています。
北前船で米を積み、寄港地で売買を行いながら大阪へ入り、そこで各地での売買の商品や米を売り、代わりに各寄港地で売買ができる商品や、工芸品などを積んで酒田に帰るという貿易を行っていました。
工芸品の中にはひな人形があり、戦火を逃れた江戸時代のひな人形が大切に保存されていて、3月にはひな人形が市内の各地で見ることができますが、本間家旧本邸で見ることができるひな人形は当時の本間家の富を伺う事ができる大変立派なひな人形です。うさぎはすでに2回本間家旧邸を訪れています。
女性 「なんでですか?」
うさぎ 季節によって展示物を入れ替えるからです。

本間家旧邸は商人でありながら武士の資格を与えられていましたので、商家の造りと武家屋敷の造りが混在している他に例がない建築様式です。


日本一の大地主と言われた本間家ですが、「利益の1/3は農民に、1/3は酒田の町の防風林や灌漑事業など人の役に立つことに、残った1/3が本間家」という家訓(ルール)があったので、小作人からの信頼も大変厚かったと聞きました。(比率にちょっと自信ないです・・)

大変栄えた港町ですが、それは庄内米が有ったからだと思います。
米の保管や船積みに使われていた山居倉庫が今でも現役で使われています。

 山居倉庫 山居倉庫と北前船


酒田市は米以外にもラーメンが有名です。
酒田のラーメンは自家製麺が驚異の8割越えです。
大正時代に支那そばとして大来軒が手ほどきを受け、その後三日月軒へと技法が受け継がれましたが、三日月軒が駅東、中町、中の口、高砂、とあるほか、新月、満月、花鳥風月、隆月など月がつく店名が多いです。

三日月軒 

しかしその筋の情報に拠れば「各店で研究と熟成」が行われていて味は異なるというレポートが入っています。
ちなみに現地(酒田市)の諜報部員からご紹介いただいたHPがこちらです。
これは超参考になります。
http://www.inetshonai.or.jp/~takeda/mein3.html
ラーメンマニアにはたまらないです。
ちなみに私うさぎが行くお店は座ったら並、大、大盛り、以外のメニューはありません。サイズだけの選択肢です。
2店行きましたが選択肢は同じです。

昼時になると地元の方々(私以外は地元)が来店されます。
年間300食以上食すという(本当)香川のうどん程度にラーメン文化が定着していると確信しました。

酒田の中華そばは毎日でも飽きが来ないという味です。私はグルメレポートは苦手ですが旨いです。
ダシが効いたスッキリとしたスープに自家製の手打ち麺、油が少ないロース肉のチャーシュー、ねぎ、メンマ、それだけ・・・。
人間目が肥えてくると虚飾や虚像などを見抜き本質を見極める様になると言いますが、すっきり系のラーメンのバランスがラーメン、いや中華そばの原点かもしれないです。
ギトギトのラーメンも嫌いではないですが、毎日は食べられません。でも酒田は良いです。
来年も出張したい!!

さて食文化も有ってか?港酒田は繁栄を極めたのですが、文学の方面でも沢山の方が酒田を訪問しています。
1689年に松尾芭蕉は奥の細道の道中に寄り詩を詠み、1893年に正岡子規、1917年に若山牧水、1947年に斎藤茂吉などの文豪と言われる方々が数多く酒田を訪れ詩を詠んでいます。
酒田であったり、最上川であったり、それらの詩が日和山公園の石碑に刻まれています。

日和山公園と北前船 日和山公園灯台と夕暮れ 北前船と日和山公園灯台

この日和山公園に移設された灯台は、石川県志賀町にある旧福浦灯台の次に古い木造灯台で六角形の形をしています。
1895年(明治28)10月20日に初点灯し、大正2年(1913)に最上川右岸に移転し、老朽化のため、昭和33年(1958)高砂に近代灯台が完成すると同時に灯台としての役目を終え、ここ日和山公園内に移築保存されたそうです。

近年では、第81回アカデミー賞外国語映画賞、および第32回日本アカデミー賞最優秀作品賞などを受賞した本木雅弘のおくりびとの撮影が酒田市の各所で行われました。

NKエージェント
本木雅弘が演じた小林大悟が納棺の仕事につくがその会社NKエージェントの社屋として使われました。。元は料亭でした。

酒田市の沖合には飛島という島があります。ここは海はプライベートビーチ。誰もいなかったです・・・。夏には賑わうようですが・・・、うさぎが行った時は山形県民以外はゼロでした。
ウィキペディアによれば・・・、
鳥海山の山頂が噴火によって吹き飛んで島になったという伝説があり、飛島の名前もそれに由来している。島内に祀られた小物忌神社は、鳥海山大物忌神社と対をなしている。と言うことです。
これは知りませんでした。

さすが日本海の孤島です。主な産業は漁業なのですが「とびうお漁」が盛んです。メインストリート(しかない)にはトビウオがズラッと干してあります。
飛島に行くにはこのような双胴船で行きます。安定感が有るので荒波の日本海に向いています。
カタマラン
女性 「船の写真を撮ってこんかい!!」

うさぎ 大変美しい夕日を見ることもできます。ブラボ~ハート


うさぎ おっと忘れていた・・・。コレがないと出張扱いにならないんです。
飛島郵便局
うさぎ 郵便局のネットワークは、山形県飛島でもしっかりと網羅されています。とても安心いたしました。
女性 「出張になってない!!怒

うさぎ さらに振り返れば出羽富士と言われている鳥海山です。元大相撲力士の出羽の富士は山形県出身かと思ったら・・・・、長崎県の出身でした・・・。
雲がなければ美しい出羽富士が見られるでしょう。

ある日のこと・・・・、
 
大雪渓を登っていくと・・・・


おー頂上が見えてきた~

女性 「頂上まで行ったの?」
うさぎ もちろんです。チョキ
女性 「出張扱いは却下です怒

うさぎ 帰路・・・、鼠ヶ関(ねずがせき)という港があるのですが、 鼠ヶ関大漁旗フェスティバル という港祭りが開催されていました。5/3
祭りは大盛況です。海鮮汁も超大盛りで、も~ウマウマです。さすが漁港。サービス満点の大盤振る舞いなんですが、ちょっと変わった物も売ってました。

これはマジでいいっす。

さらに・・・山形県の超有名米の「つや姫」のポン菓子・・・。


さらにさらに、鼠ヶ関は全国的にも珍しい「市街地の中に引かれている県境」があります。



このように酒田市は食、文化、自然、マンホールしかもカラー、とすべてが調和されています。

追伸 本当に酒田の港の移り変わりそして未来について知りたいなら
山形県酒田海洋センターです。超超オススメです。http://www.city.sakata.lg.jp/ou/shoko/kanko/bussan/7104.html

<美しいマンホールが有りましたら是非ご連絡ください。伺わせていただきます。

HPの問い合わせ先から普通にメールをください。件名には「日本マンホール研究会」宛と書いてください。
日本マンホール研究会は日本の美しい風景や歴史、地域に根ざした、美しいマンホールを研究しています。




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